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真田丸 37話を見て思った三谷幸喜のシナリオ

 

なぜ、関ヶ原の戦いがなかったのか

 関ヶ原の戦いがなかった。

これはやっぱり、演出をしている人からするとやりたいシーンではないだろうか。

しかし、ここであえてやらなかった。

 

これについて考えてみました。

 

 

あくまでも真田目線でという視点

 映画マグノリアのように多面的な表現が多くなっている気がします。

他にも、ハルプフィクションもそうでしたね。

 

小説もそのような書き方をしていることがありますが、最近の小説で億男や告白もそうですが一人称で書いている小説が読みやすい。

 

第三者目線で書いてあるものの中で、あれこれって分からないなということことがあります。

これは私もそうなのですが、思考力低下をしているのかなと思います。

 

できるだけわかりやすいのが一人称で書かれている内容。

それも簡便で、仮に大げさなことが起きても関与をしていないなら何もしない。

 

真田幸村の視点重視なのでしょう。

また、製作コストも安いですし。

 

個人的にはこういったやり方は、三谷幸喜脚本はわかりやすいなと思いました。